「伊東豊雄の挑戦 1971-1986」展

Toyo Ito
6. 10月 2023
All photos by Neoplus Sixten Inc.
会場は芝浦工業大学豊洲キャンパス内にある有元史郎記念校友会館交流プラザ。
展覧会主旨:
「私は1971年に30歳で独立し、小さなアトリエを設立しました。
1970年の大阪万博を境に、70年代の日本社会は60年代の経済成長から一転、右肩下がりの内向的な時代を迎えました。
そんな70年代に設計を始めた私は、スタッフ2~3名と小さな住宅の設計に向き合うほか仕事はなく、外に飲みに行く金銭的余裕すらない苦難の時代を過ごしていました。
当時トレーシングペーパーに手で描いたスケッチや図面には、私の全エネルギーを注いだ建築への情熱が込められています。
このたび私はその時代のスケッチや図面・模型等のほとんどすべてをカナダのCCA(Canadian Centre for Architecture)に寄贈することにしました。
CCAはモントリオールを拠点とする世界でも有数の建築ミュージアム及びリサーチセンターです。
今回芝浦工業大学の御厚意により、これらの図面等をCCAに送る前に同大学で展示させていただくことになりました。
この機会に皆様にぜひ御覧頂きたく御案内申し上げる次第です。」伊東豊雄


これは日本における建築資料の保存が非常に困難であることを意味する。
日本の建築界を50年に渡って牽引してきて、RIBAゴールドメダル、プリツカー建築賞、高松宮殿下記念世界文化賞、UIAゴールドメダルなどを受賞している建築家の設計資料が日本では保存できる体制にないのだ。

伊東自身もこの問題を提起するための展覧会でもある。
今回展示される一次資料は、事務所設立の1971年から1986年のもの。公共建築を設計し始める前としての区切りだそうだ。
1971年設立当初の事務所名は「アーバンロボット (URBOT)」。
パネルには「私にとって一軒の住宅の設計は、設計者である自分と、その住宅の住み手となる設計依頼者との間の、まったく絶望的なほどの深い裂け目を辿っていく作業にほかならない 〜中略〜 完成後、住人の様々な生活上の要求によって付加され歪められていく軌跡を、無念の気持ちでしっかりと見届けていくことのみである。」とある。
2011年、GAギャラリーで開催された「現代建築家のデビュー作」展のために制作されたもの。
軽井沢にある〈千ヶ滝の山荘 / 1974〉は現存しており、会場には現オーナーと維持改修を手掛けたデザイナーも訪れていた。
伊東が建築家としてブレークするきっかけとなった〈中野本町の家 / White U / 1976〉
伊東の姉家族のための家で、施主の心の変化により’97年に解体された。
〈小金井の家 / 1979〉
2021年o+hによって就労支援施設〈ムジナの庭〉へとコンバージョンされている。

同じ菊竹清訓事務所出身で同世代の長谷川逸子さんも会場に訪れており、初めて見る資料が沢山あると話していた。
〈笠間の家 / 1981〉
当時広く普及し始めた2×4でつくられた陶芸家の住宅。
〈花小金井の家 / 1983〉
当時スタッフであった妹島和世の家族の家。

〈シルバーハット / 1984〉
中野本町の家に隣接する伊東の自邸。

師である菊竹清訓が「伊東さんの住宅で気の付くところは、色んな空間と、その利用方法がゆるい関係で結びつけられている点だろう。これは本来日本の住宅の持っていた、すぐれた特徴であって、これが復活していることを高く評価したい。」と書いている。
シルバーハットの屋根鉄骨架構。建物は2010年に解体され、今治市大三島で〈伊東豊雄建築ミュージアム〉として再生されている。
〈東京遊牧少女の包(パオ) / 1985〉、〈レストランバー・ノマド / 1986〉、〈横浜風の塔 / 1986〉
透過する素材が多用されている。
レストランバー・ノマドの模型。こちらも金属製のため保存状態が良好だ。
会場の奥には’78年にロンドンのAA Schoolで開催された "Post-Metabolism – The New Wave of Japanese Architecture” 展で展示されたパネル。

その手前にはぽつんとマッキントシュの "ヒルハウスチェア” が置かれている、、
〈中野本町の家〉のこの有名な写真になぞらえているということだろうが、ハッと思って周囲を見渡すと、、
(photo: 多木浩二)
会場全体に〈中野本町の家〉の実物大平面図が描かれ、ヒルハウスチェアはまさに『そこ』に置かれていることに気付かされる。
床に貼られたカッティングシートは、パネルにあるこの図の白い部分だ。
〈東京遊牧少女の包(パオ) / 1985〉の再現
‘85年に渋谷西武百貨店で開催された「ジャパン・クリエイティブ」展に出展されたインスタレーションを、2022年の深圳デザインソサエティでの「日本現代建築展」で再現されたもの。
主人公はバブル期の東京の消費生活を軽やかに楽しむ、遊牧民のような若い女性たち。彼女たちが身軽に住まう部屋を、身体にまとう衣服の延長ととらえ、モンゴルの遊牧民家 包(パオ)に見立てて製作した。包にはおしゃれする家具、知識する家具、軽食する家具という3つの機能を持った家具がベッドの周辺に置かれている。

置かれている小物はカセットテープのウォークマンや、当時のananなども。吊り下げられているワンピースは妹島和世が40年間大切に保管していた。
発表当時モデルを務めたのも妹島和世だ。
会場の中央、二つの島には〈中野本町の家〉と、〈シルバーハット〉のプランの変遷が置かれている。
〈中野本町の家 / 1976〉
あるタイミングで “モルフェーム” が現れ、最終案に向かって加速していく。
もちろん手描きのオリジナルだ。
〈シルバーハット / 1984〉
'82年フィリップ・ジョンソン、ピーター・アイゼンマン、フランク・ゲーリー等世界各国の建築家20数名による会議「P3カンファレンス」にてプレゼンテーションされた、〈中野本町の家〉とそこに隣接する伊東の自邸建て替え案が元になっている。
最終案から実施設計に入る瞬間。
伊東の著書や原稿など。
代表作の青焼き図も閲覧可能。
これら青焼き図は寄贈対象外とのこと。
会場を時計回りに進むと最後に、ヤマギワの "フランク・ロイド・ライトへのオマージュ” シリーズ、〈TALIESIN POLYGON〉と、モニターでは1971年から2023年までの作品が表示されている。
伊東豊雄さん

伊東事務所の資料はポンピドゥーセンターなどにも保存されているが、その後に日本の展示のために貸し出しを求めても手続きが煩雑であったり、出したいときに出せないなどの問題があるそうだ。
今回寄贈されるCCAでは、日本で何かの機会に引き出しやすい体制になるという。とは言え初期のオリジナル図面やスケッチがこれだけ閲覧できるのは日本で最後かも知れない。
【伊東豊雄の挑戦 1971-1986】
会期:2023.9.23–10.29、10:00–17:00 (土日・祝日も開催) ※10.26は15:00まで
会場:芝浦工業大学 豊洲キャンパス 有元史郎記念校友会館交流プラザ(東京都江東区豊洲3-7-5)
主催:芝浦工業大学建築学部
共催:伊東豊雄建築設計事務所
詳細:www.shibaura-it.ac.jp/headline/detail_event/20230710-0801-001_1.html

Posted by Neoplus Sixten Inc.

このカテゴリ内の他の記事