Photo © Ryota Atarashi
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Photo © Satoshi Asakawa
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おおきな家

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Lieu
東京
Année
2006

「質」の対話

目黒通りから一本奥に入った、昭和初期頃からの閑静な屋敷街の一角が敷地である。
都心部には珍しく大きな区画に邸宅が建ち並ぶ地域で、この計画もそれなりのスケールを持つことになった。「おおきな家」の設計である。
建築に関わる「大きさ」には2種類ある。
一つは「空間の大きさ(m3)」で、もう一方は「質量の大きさ(kg)」である。
「空間の大きさ」は主に「合理性」や「自由」の感覚と直結している。質量を小さくその代わりに空間を大きく取っていけば、それだけその建築が目的用途に使 用できる度合いが大きくなるのだから「合理的」。「自由」の感覚は重く動かすことのできない壁や柱等の「質量」が少ない、つまり「制約」が少ないことから 感じられるのだろう。特に近代以降に主題になった「空間の大きさ」はやはり魅力的だ。
他方「質量の大きさ」は「安心感」や「親密さ」の感覚と近いところにある。たとえば初期ロマネスクの厚い壁に包まれた小さな空間は、説明を待たず、落ちき 安らぐ。触れたくなるし、その壁のそばにテーブルを置いて本を読み一日を過ごしたくなったりもする。問答無用に惚れてしまう「対象」となることができるの が「質量」である。
昨今の建築事情は「空間の大きさ」を主題にせざるを得なかった側面がある。絶対的に都市には地面が足りていないのだし、「質量」にはキログラム当りの値段 がついているのだし。。このところ「質量の大きさ」が表舞台に上がり難かったのはこうした事情による。しかし「空間」一辺倒で進んできた昨今のモダンハウ スに決定的に不足してきたのは前述の「質量」の持つ魅力ではなかったのか。建築、特に「住宅」には、本来この二つの「大きさ」が同時に実現している必要が あるのだろう。
今回は幸いその二つの「大きさ」が同時に実現できる機会であった。建築全体は<空間量/質量(m3/kg)>が最大化される「ロ」の字型のエンジニアウッ ドでできた「大きな空間」のパートと、<空間量/質量(m3/kg)>が小さく抑えられた「L」字型の鉄筋コンクリートによる「大きな質量」のパートで構 成される。動線はその2種類の「大きさ」に絡まるように配され、そこを通過する人は異なる<空間量/質量(m3/kg)>の配列のパターンをデザインとし て経験することになる。
「大きな質量」はセキュリティーとプライバシーが必要な諸室を内包したL字型のコンクリート塊である。化粧型枠の代わりに大きな木目の現れたラーチ合板を 用い、ピーコンのでない工法を開発することで、ラフでタフな土木構造物のような質感と重量感が獲得された。従来の平滑な表面とパネル割りの4隅にピーコン 痕のあるいわゆる「打ち放し仕上げ」はすでに壁紙の様に記号化されてしまっているが、今回はコンクリート本来の表情=「肌理」を取り戻すことで、その「大 きな質量」は親密な「対象」となることができた。
「大きな空間」は「道ばた」のような半外部的なスケールを持ったスペースである。敷地周辺の庭園を借景として利用できるように、前面道路から2m程持ち上 げられ敷地に直交する前後二本の道路を繋ぐように配された、ロの字型のLVL連続フレームによるチューブ状の大空間。柱や梁を構成するLVLは38×286mmの断面で長さ6m近いフィン状のプロポーションである。このように<空間量/質量(m3/kg)>が最大化できたのは、水平力のすべてをL字型のコンクリート部分に負担させているからである。こうして実現された「大きな空間」はLVLの特徴である大きな杢目や、その他鉄部や床石などの意図 的に強められた肌理によって、スケール的に落ち着けられた。面白いことに2種類の大きさはともに「肌理」によってコントロール可能になったのである。
このように完成した「おおきな家」は、古い屋敷街の中でその抽象的な立方形状によって新しく異彩を放っているようであり、また同時に、もっとずっと以前からそこにあったようにも見える。
「懐かしく馴染んでいて、しかも新しい」
これは二つの「大きさ」が同居することで獲得された特質なのかもしれない。

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